人気ブログランキング | 話題のタグを見る

会派分裂の引き金は誰が引いたのか。   

4月25日の午前9時過ぎに分裂会派の会派届が議会事務局に提出され受理されていた。多くの県議の皆さんは、後半の統一地方選挙の応援などで動き回っていた時であり、当時そのような動きをしているとはだれも考えていなかったと思う。

4月24日が投票日で、夜遅く当選が確定された議員も多かったのに、その次の日には会派届をしているのだから本当に恐れ入りました。この日の午後1時には拡大役員会を予定しているにもかかわらず、役員会では結果報告だけだった。

大震災や原発事故で多くの国民が心配されている時に、長崎県の自民党の分裂会派を誰が提案されたのか、社会の動きなんか全く関係なく行っていたのかなど、考えると本当に分からなくなってしまう。

私は選挙中に長崎県の防災計画の見直しを早急に行う必要があると考えていたので、本当にびっくりでした。それも選挙を終えたばかりの時期に、初当選された皆さんにとって大震災や原発事故への対応などは協議されなかったのかと思う。

これまでの報道を見ると分裂会派を正当化するための説明を話し合っていたのかと思われる。それも昨日のブログのように14人全て該当するものでなく、若い人の声が通らないから分裂会派を結成したとのことである。

結果的には自由民主党長崎県連の解体の引き金を引いてしまったのである。これまで内部でいろんな問題を抱えながらも、みんなで知恵絞って維持してきた県連を、どうしてもっといいものに育てていこうとしなかったのか、それも幹事長経験者が3人もいてのことである。

衆議院議員の北村会長の言った「自民党は県会議員のためだけにあるのではない」といった言葉が未だに耳の奥に残っている。県連の中核部隊である県議の皆さんがこのような行動に出なければならなかったこととはいったい何だったのかと思う。

県議だけの判断で今回の分裂会派を作られたのかといった疑問は小さくなるどころか日に日に大きくなっている。県議会の変化と県連の解体への引き金が引かれたのだから、原因究明には全力で当たらなければならない。

by magome2007 | 2011-05-25 08:09 | Trackback | Comments(0)

<< SNSに対する県議の関心は。 自民党会派分裂の真相 >>