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日本人の誇りは   

日本人の誇りといっても難しいことは分からないので、常日頃思っている幼稚な事しか思いつかない。若い時ブラジルで3年間生活した時に周りの日本人に、ブラジルで生活していくための心構えのようなことを言われた。

簡単にいえば、この時の心構えが私の日本人としての誇りではないのかと思う。ブラジルに渡る前は、茨城県の内原にある加藤完治の作った農学校で農業のことを学んでいた。加藤完治は戦前の満蒙開拓少年義勇軍の設立を推進した人物として歴史に名をとどめている。

ここでの教育の影響も受けていることも考えられるのですが、初日から、今で言うカルチャ^ショックを受けたことを鮮明に覚えています。先祖に対する対応や目上の人に対する対応などには非常に厳しく行われていた。当然、あいさつにおいては立ち止まって挨拶することが当たり前であった。

ブラジルでの心構えの第一は、日本人として笑われるようなことはするなといった内容であった。常に日本人は注目されているから、ブラジルでの日本人の生活態度が大きく影響を与えていることなど、聞くことができ異国の地での生活が始まった。

帰国するまでの間にも、多くの皆さんから心構えから人生訓に至るまで、貴重な事を教えていただいた。今振り返ってみて、60年の人生しかまだ経験していませんが、ブラジルでの生活は私の人生に最も大きな影響を与えていただいた、貴重な3年間であった。

帰国後の生活は、貴重な経験を活かすこともできずに目の前の仕事に忙殺され、子育ても手がかからなくなったごろから、息を吹き返してきたのではなかったのかと思う。県議になってからは、日本人のあるべき姿はどこにあるのだろうかと思いながら今に至っている。

自民党会派の議員会長になった時には、会派の中で初めてである国旗に向かって敬礼の号令をかけることができた。国旗もたばこのヤニで汚れるだけ汚れており、国旗を新しい国旗に変えることから始まった。日本人の誇りを最も大事にすべき保守会派の姿を、時間かけて改革すべきだと考えていた。

しかし、前回の選挙当選後には、民主主義を冒涜するようなことが起きてしまった。利権優先の会派を作るために、協議も何もせずに勝手に分かれて、前知事の金子参議院議員の指示で現在のようになってしまった。ここに至るまでの流れを見てて思うことは、日本人の誇りを感じることはなかった。

by magome2007 | 2013-07-01 07:59 | Trackback | Comments(0)

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