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25年前の島の人口減少の話   

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25年ほど前に山口県の屋代島を尋ねたことがあり、まだ合併前で島の中には4つの町があり、10年前に合併され、周防大島町として新しく誕生された。合併前の東和町には有名は作詞家の星野哲郎さんが頑張られていた時でもあった。

この島のことで忘れられないことは、民俗学者であった宮本常一先生の活躍であり、離島振興法誕生に大きく関わっていた人でもある。全国離島振興協議会の初代の事務局長をされ、国会議員に島の実情を詳しく説明をされている。

宮本常一先生は全国の多くの離島を訪ねて回られ、離島振興対策に大きな影響を与えていた人でもあった。このような偉大な人の故郷も人口減少に悩まされている。当時、東和町の中に橋が架けられたばかりの沖家室島があり、島のお寺の新山住職さんが活躍されていた。

新山住職さんに屋代島の話や沖家室島の歴史や産業、それに島の人口減少についての話も聞くことができた。その時には五島の将来が人口激減するとは想定できず、緩やかに減少していくのかなと思っていた時でもあった。

沖家室島には新山住職さんの子供がいるだけで、他は高齢者の皆さんたちばかりであった。お盆には島が沈没するのではないのかと思うほど、帰省客で満杯になる話も伺っていた。当時は、五島の中に限界集落が誕生することなど考えることができなかった。

新山住職さんが話されていた内容は、20年後の五島の姿ではなかったのかと思う。タクシーの運転手が若い女性を見つけようと思ったら、ダイヤモンドを見つけるようなもんですよと話され、一緒になって笑ったことを思い出してしまった。

島の人口減少対策について考えるとき、新山住職さんの姿が浮かんでくるのであり、かむろ会のホームページを見ては、当時と変わらない活動を続けられている様子が伝わってくる。屋代島は本土と橋でつながっており、佐藤栄作総理が架けられたと聞かされていた。

参考資料
かむろ会ホームページ
周防大島町

by magome2007 | 2014-10-07 08:52 | Trackback | Comments(0)

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