東日本大震災から4年   

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東日本大震災の発生時刻には、県議会の委員会審査が行われており、テレビ放映を休憩の時に見た時には、画面から流れてくる映像を理解するのに時間がかかった。何が起きているのか、これまで知っている津波や地震のイメージと、あまりにも違いすぎていた。

津波や地震以外にも福島原発の事故も発生し、このような事故が国内で起きると考えた人はいなかったのではないのかと思う。原子力の安全教育が行き届き、あのような事故が起きることすら、考えることができなかったのではないのかと思う。

東日本大震災は、様々なことを我々に教えてくれている。一瞬のうちに津波に飲み込まれてしまった多くの犠牲者達の報道を聞くたびに、地獄絵図の前で呆然と立ち尽くす姿そのものであった。当時の議員の皆さんも同じ思いと思っていた。

県議会閉会と同時に県議選に突入する中で、県議選の自粛や寄付について提案を行ったのだが、この時に初めて県議達の考えを知ることができた。毎日流れてくる大震災の情報に、もっと敏感に反応されるものとばかり思っていた。

長崎県においても、諫早大水害や長崎大水害、普賢岳災害など、多くの自然災害に見舞われていることが嘘のようだった。率先して災害援助活動に取り組むべきなのに、議員の反応の鈍さには本当に驚かされたことを忘れることはできない。

そんな中、長崎県から救助船を出すことが決定され、救難物資を積み込んで長崎港を出港した。この時の指揮は、当時、長崎県総務部長をされていた、佐賀県知事に当選された山口知事であった。この時の対応は高く評価され、後に続く自治体の参考になった。

その後、石巻市や釜石市に行って当時の状況を詳しく知ることができた。行方不明者を毎日遺体安置所を回って捜し歩いていた人達の話も聞くことができ、想像を絶する内容には涙が流れてしまった。姿かたちが原形をとどめていない中で、何度も通り過ぎてしまったことも話されていた。

今我が国は人口減少社会を生き抜くために、全国で地方創生に取り組まれているが、現在も続いている東北復興に学ぶべきではないのかと思う。原点は一人一人の人間が手をつなぐことから全てが始まることを、東北の皆さんが教えてくれている。
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by magome2007 | 2015-03-11 06:53

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