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長崎だからできる中国との交流   

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長崎県と中国との交流は、日中国交が閉ざされていた時代に、長崎県の久保知事が香港経由で中国を訪問し地方外交の幕開けを行い、日中国交のスタートを速めたことにある。この時から長崎県と中国との新しい関係が築かれてきている。

数年前に中国の各都市との行政職員の研修交流を活発にできないかといった提案を行ったのだが、現在行っている職員の数を増やすことは非常に厳しいといったことで没になったことがある。しかし、長いスパンで考えるとき必要な取り組みではなかったのかと思う。

我が国の若者の海外への留学が減少していることは将来深刻な影響が出てくると言われている。現在の東京をいつまで維持できるのか、すでに上海に追い越されていると言われている。欧州の通信社等がアジアの支局を上海に移し、東京はその支店になっている現実がある。

情報収集の差が徐々に出始め埋まることがないと言われている。それを支えているのは多くの留学生や、海外で生活されている多くの国民のネットワークの効果であると指摘されている。このような社会状況が生み出す多くの情報に通信社が反応している結果である。

このようなことは国の領域ではあるが、地方外交の成果で中国との交流を活発に行っている長崎県として、多くの交換留学生や、行政職の相互交流をさらに活発に行うべきだと今も思う。長い歴史の中で培われてきたことを考えるとき、50年単位や100年単位で考えるべきではないのかと思う。

以前、長崎市内の居酒屋の経営者たちに上海に支店を出して従業員の教育に活かしたらどうかといった話をしたことがあるのだが、ちょっとリスクが大きいと言って断られたこともあった。しかし、海外との交流を強めるためには、人材交流をより活発に行うことではないのかと思う。

英語を小学生の時から詰め込んだところで、地方も国も国際化に対する取り組みが遅れていることを考えるとき、国際競争力のある都市や生産性の高い欧米の企業に対抗できる企業は少なく、もっと国外からの情報を国内に還流させるべきである。

アジアの拠点を目指す長崎県の戦略としては、中国との大きなパイプを活用して相互交流をもっと拡大すべきであり、中国に特化することも選択の一つではないのかと思う。国際社会の変化にどう対応していくのか、地方も独自の取り組みを持つべき時代になっているのではと思う。

参考資料
長崎県と中国との交流史
台湾は日本の生命線!(当時の金子知事~現参議院議員)

by magome2007 | 2015-03-20 06:12 | Trackback | Comments(0)

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