2015年 03月 14日 ( 1 )   

日本一の豊かな街だった   

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昨日歩いた旧奈良尾町は、日本で最も豊かな町として注目された時期があった。遠洋旋網の全盛期の時代で、多くの若者が遠洋旋網の各船団に乗り込み、日本と韓国、中国で囲む海域で操業を行い、豊かな魚を多くの国民に供給を続けてきた。

当時の町の指導者たちは、水産振興に必死になって取り組み、多くの若者たちの夢が叶えられていた。島の中にあって、奈良尾の街は県内で最も活気があり飲食店も潤っていた。当時の面影は街の中に残されているが、多くのものが朽ち果てようとしている。

全盛期の奈良尾町は、長崎県の水産業界のリーダーとして、西日本の水産業界の指導者としても力を発揮されていた。当時の経営者たちは戦争帰りのつわものたちが多く、若者たちも漁船の中で教育され、素晴らしい海の男として成長を続けていた。

多くの旋網船団の港が整備され環境が整ったころから、旋網業界の衰退が始まり、減船に次ぐ減船で数船団を残すのみとなっている。遠洋旋網の衰退は、中国や韓国の水産業の発展で海域を競合するようになってから、漁獲量の激減が最も大きな原因であった。

当時、国において漁獲の調整が行われていたら、今のような状態にまで衰退することもなかったのではと思う。欧米においても漁獲の問題を抱え、世界的な取り組みが行われ、領海の主張も多くの国々が行い、現在のような領海のルールが出来上がってきた。

しかし、国の取り組みは遅く、離島の基幹産業であった遠洋漁業を守ることができなかった。水産業は海の恵みを生活の糧にすることから、島の豊かな生活を築いてきたのに、今では土木事業を基幹産業として育てようとしたトップリーダー達による町の衰退に歯止めがかからなくなってしまった。

新しい富を生み出す取り組みを行ってきた島の伝統は、多くの家屋が朽ち果てるように消えようとしている。しかし、多くの島の人達は、島のあるべき姿を考えられており、そのような考えや知恵にもっと耳を傾け、島の未来に活かすべきである。

人口減少する中で、大型の土木事業を血眼になって追い求め、島の現状と大きくかけ離れようとしている。残されている資源は、多くの集落に残っている高齢者たちを初め、集落全員で島のあるべき姿を考えていることであり、そのことに耳を傾けることである。島の生きる方向は、多くの島民の知恵の中に残されている。

参考資料
巻き網漁業とは
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by magome2007 | 2015-03-14 06:10