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今日の河北新報の社説です。   

自民党の派閥/廃止から始まる再生の道 
 最盛期には140人を超す国会議員が所属、鉄の結束を誇ることから「軍団」と称された。刑事被告人でありながら、キングメーカーとして政界に君臨し「闇将軍」と恐れられもした。
 かつて故田中角栄元首相が率いた「木曜クラブ」は、自民党の特質である派閥政治を極限まで推し進めた。
 四半世紀を経て、その流れをくむ額賀派のメンバーは、わずか30人。最大派閥の町村派でさえ44人にとどまり、無派閥(37人)が第2勢力になった。
 昨年の衆院選で野に下った自民党は民主党がもたついているのに、党勢復活の足掛かりをつかめずにいる。その最大の理由はかつての成功物語に、いまだしがみついていることだ。派閥はその象徴だろう。
 激しい派閥間抗争が時に許されたのは、自民党による長期安定政権が揺らがないという「お気楽さ」があったからだろう。だが、今は違う。党が置かれている厳しい現状を直視するなら、党改革の目玉として何度も指摘されてきた派閥解消に本腰を入れるべき時だ。
 自民党では長年、派閥の合従連衡によって総裁(首相)が決められてきた。衆院選が中選挙区時代は複数の候補を擁立し、競わせた。最大定数が5であることが、五大派閥を容認する根拠にもなっていた。
 派閥の領袖は政権を獲得するため所属議員にカネとポストを提供し、忠誠を誓わせた。田中氏が獅子吼(ししく)した通り、「数は力」だったのである。
 ところが1選挙区1人しか当選できない小選挙区制が施行された結果、派閥の求心力は急速に低下。政党交付金が導入されたこともあって、選挙は党営色が強まった。
 駄目を押したのは小泉純一郎元首相だった。「自民党をぶっつぶす」「派閥を壊す」と絶叫、自民党の古色蒼然(そうぜん)たる統治スタイルを否定してみせることで、熱狂的な支持を集めた。
 自民党は首相に何か問題が起きると、党内で最も遠い派閥の領袖にバトンタッチする「疑似政権交代」で延命を図ってきた。もっとも、全派閥が時の政権に協力する総主流派体制が強化されるにつれ、このシステムも有用性を失い、国民には単なる政権のたらい回しと映るようになった。
 野党に転落して、派閥の弱体化が加速している。昔日を知るベテラン議員に擁護派が多いのは致し方ないとしても、首相ポストに直結しない権力闘争が一文にもならないことは誰の目にも明らかだ。
 「仲良しクラブ」化する派閥に代わって自民党が取り組むべきは新しいリーダーを育成し、選抜するシステムを構築することだ。
 当選回数や党歴に依拠した年功序列システムを見直すこと、派閥以上に人事の固定化を招いている門閥(世襲)を禁止することなど、課題は多い。
 幸か不幸か、自民党が政権に復帰するための時間は十分にある。自然消滅ではなく、明確な意思をもって派閥を廃止することから自民党の再生は始まる。

2010年05月12日水曜日

今日の、この社説だけは自民党の参議員候補予定者に是非読んでほしい。

by magome2007 | 2010-05-12 07:30 | Trackback | Comments(0)

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