段々畑は島の原点ではなかろうか。
2015年 03月 17日
島は豊かな海に囲まれ、島の歴史と共に漁業は始まり、その流れに沿うように島は延々と生きながらえてきている。この間、島の急斜面は段々畑が随分と開拓され、島内の全ての集落が段々畑と共に生活を支えてきていた。
島の生活は、島の持つ資源を最大限に引き出し生活の糧を生み出してきている。段々畑で栽培された大豆から味噌も作られ、精米所では小麦を粉にすることで島の中にいても、色んな物を食べることができていた。最近まで、そんな島の暮らしの残像が残されていた。
島の暮らしを支えていたのは、島の人々の海や段々畑から食糧生産する意欲的な取り組みであった。同じような事を全国の島や山間の地でも行われ、今のような耕作放棄地や、船のいない漁港など考えることができなかった。
しかし、我が国が経済的な豊かさを求め、多くの国民が豊かさを享受するころから、あっちこっちに耕作放棄地が見られるようになってきた。今では全国津々浦々の風景であり、誰も不思議に思うこともなく放棄地の拡大は止まることがない。
島の姿も変化を初め、今では多くの食料が島外から入ってきてスーパーに並べられ、島民の暮らしを支えている。島で稼いだ金は年金と共に島外の企業に支払われ、島の暮らしは徐々に豊かさから遠ざかっているようでもある。
海に囲まれ、生み出す力をいただいてきていた島の暮らしは、本当に大変化してしまって多くの先人たちが残した段々畑は姿を消そうとしている。段々畑は効率も悪く機械も入らないと言って敬遠され、段々畑の活用を考えることもなかった。
段々畑に合う作物の研究や、傾斜地の労働を軽減するような研究が行われていたら、島の暮らしは魅力ある姿を見せていたのではなかったのかとも思う。先人たちの残した島の宝は、これからも島の生活の原点ではなかろうかと思う。
参考資料
狩浜の段々畑(西予市)
段々畑のつぶやき
by magome2007 | 2015-03-17 07:29 | Trackback | Comments(0)